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最高裁判所第二小法廷 昭和28年(オ)251号 判決

上告人(被告・控訴人) 日立労働基準監督署・茨城労働基準局保険審査官

訴訟代理人 豊水道祐 外二名

被上告人(原告・被控訴人) 鈴木炭砿株式会社

主文

第一、二審判決を破棄する。

被上告人の訴を却下する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人浜本一夫、同豊水道祐、同小林定人の上告理由は末尾添付のとおりである。

本件訴が、上告人日立労働基準監督署が労働者災害補償保険法一九条によつてした決定及び上告人茨城労働基準局保険審査官が右決定について同法三五条によつてした審査決定の取消を求める訴であることは記録によつて明らかである。

労働者災害補償保険法三五条は保険審査官の決定に不服のある者は、労働者災害補償保険審査会に審査を請求することができる趣旨を規定しているけれども、同法四〇条は右請求期間を六〇日以内と定めており、右期間経過後においては審査請求ができないことは明白である。

しかるに本件においては、上告人茨城労働基準監督局保険審査官は、昭和二四年一二月七日審査決定をし、これに対し被上告人が茨城労働者災害補償保険審査会に審査を請求したのは翌二五年五月一九日であつて、その間五箇月余を経過しており右審査請求は不適法であるといわなければならない。もつとも同法四〇条後段は審査請求について訴願法八条三項の宥恕に関する規定を準用しており、審査会が宥恕すべき事由ありと認め請求を受理した場合は格別であるが、本件では審査会は被上告人の請求を不適法として却下しており、この点については被上告人も争わないところである。保険給付に関する決定に対する訴を提起するについては、保険審査会の審査決定を経なければならないことは、労働者災害補償保険法三五条の規定上明白であるが、原判決は、右のような却下の審査決定でも同条の審査決定を経た場合に該当するものとし、本訴を適法なものとして上告人等の決定の当否について審理し、その決定を違法として取り消したのである。しかし、このような部下の審査決定を経たからといつて、本訴が同条にいう審査決定を経た適法な訴ということは倒底できない。けだし、審査請求の期間を経過した後は、宥恕すべき事由の認められる場合のほか、決定に不服のある者ももはや原決定の当否について争うことは許されないものと解すべく、審査会が請求を期間経過後の不適法な請求として卸下した場合においては、その却下決定が違法でない以上訴訟をもつてしても審査の対象たる原決定の当否を争うことはゆるされないものと解すべきであるからである。本件においては、被上告人は右審査会の決定の適否については争わず、また審査決定を違法とすべき何等の事由もないのであるから、かかる審査決定を経て提起された本件訴は不適法な訴といわなければならない。若し原判決のように解するならば、原決定後数ケ年を経過した後においても審査請求をし(この場合、審査会は宥恕すべき事由を認めない以上却下するよりほかはないのであるが)さらに訴をもつて原決定の当否までも争い得ることになり、審査請求について期間を限つた法律の趣旨は全く没却されることとなりその不合理であることは極めて明白である。

以上説明のとおりであるから、本訴を適法な訴とし本案について審理判決をした第一、二審判決はともに法律の解釈を誤つた違法があり、いずれも破棄を免れず、本訴が不適法であることも右説明のとおりであるから、被上告人の本件訴を却下すべきものとし、民訴四〇八条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判官 栗山茂 小谷勝重 藤田八郎 谷村唯一郎 池田克)

上告理由

第一点 原判決には、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)第三五条第一項及び行政事件訴訟特例法(以下[特例法」という。)第二条の規定の解釈適用を誤まつた違法がある。

労災保険法第三五条第一項は「保険給付に関する決定に異議のある者は、保険審査官の審査を請求し、その決定に不服のある者は、労働者災害補償保険審査会に審査を請求し、その決定に不服のある者は裁判所に訴訟を提起することができる」旨規定している。かくの如く行政処分に対し行政権による数段階の再審査制度が設けられている場合においては、訴願前置主義を採ることを明かにしている特例法第二条は、当該行政処分の取消又は変更を求める訴は、そのすべての再審査を経ても、それによつてなお救済の得られないときに、はじめて裁判所に提起し得るものと解釈すべきである。御庁においても既に早く昭和二六年八月一日大法廷判決(最高裁判所判例集五巻九号四八九頁)をもつて御庁昭和二五年(オ)第一一三号事件において自作農創設特別措置法による農地買収計画取消訴訟につき同様の趣旨を明かにされているところであるのみならず、むしろ右挙示の労災保険法の規定は前記二段階の再審査を尽くした後に初めて裁判所に出訴し得べきことを明定しているものとみるべきであるから、上告人はこの点についてはほとんど疑問の余地すらないものと信ずる。

また、およそ、特例法第二条及び労災保険法第三五条第一項の規定が所謂訴願前置主義をとつているのは、行政処分について行政権による再審査の途を開いている場合においては、これと司法権による救済との調和を考え、当該行政処分について裁判所に出訴する以前において、先づ当該行政処分について行政権による再審査を行う機関に対し不服申立をし、当該行政処分の内容について実質的な再審査をうけさせるためである。従つて、この再審査機関に対する不服申立は、これによつて行政処分の内容につき実質的に再審査をうけ得べき適法な不服申立であることを要するのであつて、行政処分の内容につき実質的再審査をうけ得ない不適法な不服申立をもつてしては、この訴願前置の要件をみたしたものとすべきではない。不服申立が申立期間を徒過してなされた不適法なものであるため行政庁において当該行政処分の内容について何等実質的再審査をせずして、申立を却下した場合においても、なお訴願前置の要件をみたしたものとする見解は、前述した訴願前置の趣旨を全く没却する解釈であるのみならず、この見解によれば、結局訴願前置主義は、訴を提起する者に対し全く無意味な形式的手続を要求して、訴の提起を不必要に制限することに帰するのであつて、到底採ることのできない見解であるといわなければなるない。以上述べたところを本件労災保険法に基く保険給付に関する決定という行政処分についてみれば、保険給付に関する決定について保険審査官及び保険審査会の両者に対し適法な審査の請求をし、これによつて保険給付に関する決定の内容について実質的な再審査をうけ得る場合においてのみ、訴願前置の要件をみたし得るのであつて、法定期間を徒過した不適法な審査の請求をし、従つて、保険給付の内容について何等の審査をうけずに、その請求を却下された場合には、この訴願前置の要件をみたさないものと解すべきである。

しかるに、本件においてこの点に関する上告人等の以上の主張に対し、原判決は第一審判決をそのまゝ引用しておられるのであるが、この第一審判決は、茨城県保険審査会が被上告人会社の審査の請求を法定期間を遵守しない適法なものであるとの理由で、保険給付に関する決定の内容について何等の審査をせずに、却下したことを認定しながら、かかる場合においても、なお労災保険法第三五条第一項に規定する保険審査会の審査を経た場合に該当するものと判示され、これによつて訴願前置の要件をみたしたものとして本案につき判決されておるのである。しかして、原判決及び第一審判決は、被上告人会社の右審査の請求が法定期間内にされたものであることは認定しておられない(事実は、本件審査の請求は法定期間をはるかに経過した後されたものであり、被上告人会社提出の甲第三号証の一(記録一六丁)により明かなように、被上告人会社もこの事実は明かに争つていないものである)のであるから、原判決は、結局保険審査会に対し法定期間を徒過した不適法な審査の請求をし、徒つて保険審査会が保険給付に関する決定の内容について何等の審査をせずに却下した場合でも、訴願前置の要件をみたすとの見解に立つておられるものと解するより外はないが、この見解は、前述のように、労災保険法第三五条第一項及び特例法第二条の規定を誤解しておられるものと断ぜざるを得ない。

従つて、原判決には、右法令の解釈適用を誤つた違法があり、破棄さるべきものと信ずる。

第二点 原判決には特例法第五条第四項の規定の解釈適用を誤つた違法がある。

特例法第五条第四項の規定が訴願の裁決を経た場合における出訴期間について特則を設けているのは、同法第二条が訴願前置主義をとつていることに基因するものであつて、この訴願前置の要件をみたすことによつて出訴期間についての不利益を蒙らしめないためである。従つて、右第五条第四項の規定は、右第二条の訴願前置の要件をみたす訴願があつた場合にのみ適用されることは、当然の事理である。しかして、いかなる訴願が第二条の訴願前置の要件をみたすものであるかは、すでに上告理由第一点において詳述した通りである。従つて、右第五条第四項の規定は、上告理由第一点において詳述したところから明かなように、再審査機関に対し適法な不服申立があつた場合にのみ適用され得るものであり、更に繰り返して本件労災保険法に基く保険給付に関する決定という行政処分について述べれば、この行政処分について保険審査官及び保険審査会に対し適法な審査の請求があつた場合にのみ適用され得るのであつて、法定期間を徒過した不適法な審査の請求があり、従つてこの行政処分の内容について何等の審査をうけずに、却下された場合には、適用されないものと解すべきである。殊に、出訴期間を定めている右第五条第四項の規定の解釈としては、かく解さなければ、行政処分後いつまでも、審査の請求をして法定期間経過を理由とする却下決定を得さえすれば、これを基準として出訴期間を起算して裁判所に出訴することができることになり、行政処分がされて一定期間を経過した後は、その処分の効力を確定させるために出訴について一定の期間を設けた法の趣旨は、全く没却されてしまうことになるからである。

しかるに、原判決の引用しておられる第一審判決は、この点について、茨城県保険審査会が被上告人会社の審査の請求を法定期間を遵守しない不適法なものであるとの理由で、保険給付に関する決定の内容について何等の審査をせずに、却下したことを認定しておられながら、かゝる場合においてもなお特例法第五条第四項の規定が適用され、右却下決定書が被上告人会社に到達した日から出訴期間を起算すべきものとしておられる。しかして、上告理由第一点において既述した通り、原判決及び第一審判決は、被上告人会社の右保険審査会に対する審査の請求が法定期間内にされたものであることは、認定しておられない(事実は、本件審査の請求は法定期間をはるかに経過した後されたものであり、従つて、本件は審査官の決定を知つた日を基準とすれば、すでに出訴期間をはるかに経過した後提起されたものである。この事実は、被上告人会社提出の甲第三号証の一(記録一六丁)から明かなように、被上告人会社も明かに争つていないものである)のであるから、原判決は、結局保険審査会に対し法定期間を徒過した不適法な審査の請求があり、従つて保険審査会が、これを理由に、保険給付に関する決定の内容について何等の審査をせずに、この審査の請求を却下する旨の決定をした場合においても、なお特例法第五条第四項の規定が適用され、この決定のあつたことを知つた日から出訴期間を起算すべきであるという見解に立つておられるものと解するより外はない。しかしながら、この見解は、前述したところから明かなように、特例法第五条第四項の規定を誤解するものと断ぜざるを得ない。従つて、原判決には、右規定の解釈適用を誤つた違法があり、この点においても破棄を免れないものと信ずる。

上告人等は、もとより原判決に対しては十分なる敬意を表するものであるが、右に述べたような理由により、にわかに承服いたしかねる点があるので、あえて上告をした次第である。殊に、上告理由第一点については、多くの下級審の判決、例えば、字都宮地方裁判所昭和二四年(行)第九号同年八月三一日言渡、神戸地方裁判所昭和二四年(行)第三六号同年一一月二九日言渡-以上いづれも昭和二六年三月法務府行政訟務局編「行政判例総覧」(以下「判例総覧」という。)二〇八頁以下-東京地方裁判所昭和二三年(行)第九三号同二五年六月一日言渡-最高裁判所事務総局行政局編「行政事件裁判例集」(以下「裁判例集」という。)一巻四号六〇〇頁-大阪高等裁判所昭和二四年(ネ)第五六三号同二五年三月二五日言渡、福島地万裁判所昭和二四年(行)第一六号同二五年四月三日言渡-以上いづれも最高裁判所事務総局行政局編「昭和二十五年度行政事件訴訟年鑑」一四一頁-は、上告人等と同一見解をとり、法定期間徒過後に不服申立があつた場合は、特例法第二条の訴願前置の要件をみたさないと判示しておられる。また、上告理由第二点については、御庁第三小法廷判決(昭和二五年(オ)第七三号同年一〇月一〇日言渡-判例総覧二三八頁)も、傍論ではあるが、法定期間経過後に訴願があつた場合には、出訴期間はこれによつて影響されないと判示しておられ、下級審の判決(例えば、神戸地方裁判所昭和二四年(行)第二〇号同年六月二日言渡-判例総覧二八九頁-仙台高等裁判所昭和二五年(ネ)第六号同二七年四月三日言渡-裁判例集三巻三号四八七頁)においても、法定期間経過後の訴願その他不適法な訴願があつた場合には、特例法第五条第四項の規定は適用されないとして多く上告人等と同一の見解をとるものがある。しかるに、原判決は、右いづれの点においてもこれに反する見解に出ておられるのである。しかも、裁判所に現在係属し、又は将来係属すべき行政事件において、この上告理由の各点を争点とする事例は多々あるものと思われるので、この重要な法令の解釈について御庁の終局的な御判断を得て、判例を統一することは、極めて必要なことであると考え、原判決に対しあえて上告をした次第である。速かに適正な御判断を賜りたい。

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